近況/それとこれとは話が別というお話。

誰も知ってる人がいない演劇のワークショップの発表会を観にシアタートラムに行って来た。
シアタートラムってどんな感じなのか見たかったし、無料だったし、昼間だったし、市民演劇のワークショップってどんなんかなあとちょっと興味もあったし。

ロビーでは子供たちがカフェなどやっていて、そりゃあもう超あったかい空間。それだけで涙が出るって。
自由学園とか明星とかのリベラル系私立学校の学園祭(行ったことないけど)ってこういう感じかなと思った。とても感じがよくて心温まる。

こういうところに来る人たちは普段善人かどうかは別にして、自分の善人モード全開だからあんまり面白そうじゃないよね。以前つまんない人がtrfのDVDを貸してくれて、善男善女のためにJ-POPというものはあるんだなと気がついた時に善男善女ってつっまんねえなあとか思ったことを思い出した。

さっきの浪花節の時にも思いついたんだけど、演劇のワークショップに参加する人って、自分の現状に対して全否定も出来ないし、全肯定も出来ないんだろうな。そうじゃなかったらこういうところには来るはずがないし。なにか表現したくても伝えたいことがなにもなければ表現には意味がないよね。
自分の友達がなんか一生懸命やっていればそれはそれで個人的には評価も感動も出来るんだけれど。うちの母ちゃんが以前絵の教室なんか行って描いた絵が家のあちこちに飾ってあんだけど、母ちゃんのモチベーションが「描きたい」ではなくて「なんか趣味でも持ってみようかしら」以上のことが伝わってこないシロモノで、いくら母ちゃんのことを愛していてもこういう絵を平気で飾るセンスには超以下略なんですよ。
占いとか宗教に行くよりは演劇のワークショップっていうのはずっとましなんだろうけど、何か表現してみたいと思うことと、こういうことを伝えたいと思うことは全然別な話で、何か表現してみたいけど、何も表現したいことがない人(おいらも含めて)にとって環境とか平和とかっていうのはスイーツ(笑)なんですねー。
表現したいことがなにもなくても面白おかしく生きていくことはできる訳だし、80年代には恋愛しないと人間じゃないかも、みたいな脅迫があったように、21世紀には表現しないと人間じゃないかも、みたいな脅迫にやられなくてもいいと思うんだけどねえ。

ご飯食べて寝るだけの毎日でも充分充実出来るって。

いや、善男善女ていうのはとてもいいことだと思ってるんですよ。