風信帖を書き始めた。


そろそろ一週間になる。
(以下事実関係については主観とうろ覚えだけで書いたので間違いあったらごめんなさい)
風信帖というのは、空海高野山に、最澄比叡山に住んでいた頃の9/11に空海最澄に書き送った手紙で、現在は国宝として上野の山にある。いわゆる書の名品。
元々三通だった手紙を一枚に貼り合わせてある。おいらが書いているのは風信雲書 自天翔臨で始まる一通目。
内容は「手紙をありがとう。貸してくれたお経ありがとう。(中略)これからも二人で仏教界を盛り上げて行こうね。あんたも無精しないでたまにはこっちの山にも来てね」だと思う。漢文。
空海の時代にはかな、とか連綿とかなかった時代で、おいらにもかろうじて読めるギリギリの時代の書ですね。
オレが物心つく以前は、江戸時代より平安時代より奈良時代の書が読みづらいんじゃないかと思っていたんですけど、それは大間違いなんですよ。かな文字が混じってないことと、連綿のない楷行書である時代は日本ではこの時代までなので、ここが素人的には一番のとっかかりになるんじゃないかと思いましてね。
これが小野道風とか藤原定家とかの時代になってくるともう素人にはお手上げ。それでも小野道風とか藤原定家なんてゆうのは当時の書の中では比較的読みやすい方だと思う。それ以外の人の文字は見てもまだよくわかんないので、名前も覚えてないです。

手元にはろくなお手本がないのでひとまず楷書で文字面だけ書いてみる。
(上野のミューゼイムショップに風信帖のマウスパッドとかクリアファイルがあったら買って来よう)
空海の得意な四六駢儷体ではない。四六駢儷体は華麗なんだけど、正直ちょっと過剰というか、うざいんだよね。
四六駢儷体ではないんだけど、一枚の書に楷書、行書、草書が混在するのだ。これは現代人にとっては見慣れないものであります。ぶっちゃけ、字はうまいんだけど、飽きっぽい子供の手習いみたいなものだとも思うですし、そんなにうまいんか?という気もするんですよ。

 私が空海好きなのは書家じゃないっていうのが大きいですね。

だから完全なコピーが出来るようになりたい訳じゃなくって、こういう自由自在で奔放な書に憧れてるだけなのかもしれない。

こんなこと書いてたらまた字が書きたくなったので、ひとまずupします。
続きはまたね。
風信帖のお稽古はひとまず10/13あたりから次の段階に進んでいるですよ。