ナントカの手習い。

明治の東京も東洋的な見方も、そして茶の本(岡倉覚三)も平仮名が多くて書きづらい。もうちょっと手頃な本はないのかとさんざ探してようよう発掘したのが兆民先生(幸徳秋水)である。秋水の文体というか人柄というかについてはくっだらねえなあと思う部分もあるのだが、漢字と平仮名のバランスとしては大変結構だし、調子のいい擬古文体も大変結構である。

文庫本2行書き写すのに紙一枚使うという悠長なサイズでばんばん書いている。あんまり細かく書いてしまうとパーツパーツが雑になってしまうので、紙を横長に使って一行に五文字くらい書くと一番しっくりくるみたいだ。ゆっくり丁寧に書いてみたり、スピード感を大事にしてさらさら書いてみたりとアレコレ試している。墨を使い切って今日はもうお仕舞いと硯を洗い終えた瞬間からまた書きたくなって莫迦みたい。

手で書く、という行為が愉しくてたまらない。日常的に使ってない言葉を書くのが面白いのだから、自分で考えた文章なんか書いても意味がない。アリモノで充分。

樋口一葉も読んでいるのだが、メロドラマてゆうか、人情噺の賛否についてはちょっと引きぎみ。調子はよいのでつらつら読めるのだけど。昼間のドラマにありがちな展開で、素直に読むのが難しい。幸徳秋水も同じように調子のいい擬古文体で、明治というのはそういうことだったんだろうと。なるほど森鴎外とか夏目漱石は当時非常に新鮮であったろうと思いやってみる。沖津弥五右衛門の遺書もたいそう短いものなので、書き写してみたいのだが、生憎誰に貸したか覚えていない。