野蛮/我慢
これらを肯定的に考えるか、否定的に考えるかはまだ決めていないが、来年のスローガンには織り込もうと考えている。去勢された魂が恢復するためでもある。
野蛮も我慢も個人的には好きではないのにどうしてこういうことになっちゃうのかは自分でもよくわからないが、世界的にそういうことが必要になってくるような確信がそこはかとなくある。先日の「もののあはれ」についてつらつら考えてゆくと結局そこになってしまうのだ。野蛮は根源的な生物の本能として、我慢は人間としての矜恃として、世界と対峙するために、そして自分と向き合うために、その両輪が野蛮と我慢であるとひとまず仮定してみる(予定)。