今見たい映画は「ロボコン」と「木更津キャッツアイ」。

中学生が夏休みの宿題で「好きな詩を選んで、感想文を書く」に悩んでいた。山田かまちなんか選んでんじゃないよと俺は内心思ったけれど、書けない理由は感想も感動もなかったからに決まっている。親が奨めたらしいが、親も自分で読んだ訳でもなくて、同世代という雑な括りから選んだだけとしか思えない(しかし、これは俺の偏見かも)。
山田かまちについては通り一遍以上のことはなんも知らないが、若くして亡くなった後に両親が部屋からごそごそ引っ張り出したものを、本人の意思も並びもなーんもなく出版したら、作品の巧拙というより夭折という事実によって話題になっただけであろう(これも私の偏見でありますよ)。
実際考えてみ。自分が死んだ後に両親がノートや日記を勝手に出版するなんて。さっぶさぶでしょう。絶対に死ねないね。
だからといって俺だったら中学一年生には何を勧めるだろうか、と悩んでしまった。俺が学生の頃なら間違いなく金井美恵子/春の絵の館(付録の四谷シモンソノシートまで持ってたよと少し自慢)だったんだけど、それはやっぱり健全な中学生の趣味じゃないだろうなと思うし、谷川俊太郎も作品が多すぎるし、無難すぎるしなあ。今ならユークリッドの原論なんかも詩みたいな感じで読んでいるけど、中学生にはそれって厳しいよねえ。てゆうか、イマドキの中学生が詩なんか読んで感動するなんてことじたいが想像も出来ない俺からしたら詩の感想文なんて現実味のない宿題を出される中学生も大変だなあ。当時は金井美恵子が好きってゆっとけば、それ以上突っ込まれることもなく、文学少女のふりも出来て非常に便利だったんだけど。
前に文章を書いて飯を食いたいのだという青年の感想文(書評らしい)を読んだ時にも「お前こんな事書いてるけど実は感想も感動もなかっただろう」としか言い様のない代物で激しく不快と思った。それっぽく書いてあるだけで中身がすっからかんなのだ。

俺がしたいのはこういう話じゃないのだ。俺にも魂の話をさせろや。