尊皇攘夷。

こうやって4文字熟語みたいにして覚えちゃったのが俺の抜本的な間違いな訳だが、江戸時代の[尊皇]思想というのは「将軍より天皇の方が偉い」で、[攘夷]思想というのは「外国人なんかたたき出せ」で、尊皇思想と攘夷思想が合体していたのは[ペルリ提督]が[黒船]に乗って浦賀に来てからわずかな時間でしかないのだ。前の日記でも書いたけど、ペルリ提督以前にも諸外国が「俺ともつきあえ」ってちょくちょくは来ていても常に門前払いだったのに、ペルリ提督だけはしゃあないなあって通商条約締結にまで至ったのはひとえに黒船の軍事力の強大さゆえにという訳だ。
尊皇思想はやがて開国論と合体して明治維新への大きなグルーブとなっていったのだ。江戸時代の尊皇攘夷思想というのはとても短命なものであったが、それが明治時代以降にマイナーチェンジしつつ、[自由民権運動]などもなぎ倒して時代の主流になっていった訳やね。