木曜日の夜から泊まりに来た女友達と金曜日に新宿へ。世界堂で念願の墨を購入。古梅園か墨運堂か、迷いに迷って墨運堂のにした。墨運堂の墨ラインナップでも安い方だが、俺みたいな駄目趣味人には綺麗な紙箱が決定力である。嬉しくて帰りの電車の中で箱を開けて薫薫しながら帰宅。
元々久々の女友達が遊びに来る予定だったが、急遽別の女友達も参加。朝までうだうだ。
土曜日の昼間に残留している女友達を放置したまま中野に硯と紙を買いに行って、字を書き散らかして遊ぶ。墨を硯で擦って墨の匂いを堪能したかっただけで、字なんざさっぱり書くつもりも無かったのだが、墨を擦ったらやっぱり書かない訳にもいかないのだ。勿論上手になんか書けやしない。てゆうか、自分でも驚くくらい下手糞でがっかり。女友達がなかなか上手に筆を運ぶのを見て軽く嫉妬しながらせめて「上手に書けなくても、楽しんで書ければそれでー」程度の事が言える程度までは上達したい訳で、退廃趣味も小人には限界あるなー。
うてな(香台)を歯ブラシで磨いて綺麗にした。すごい綺麗になった。
道具、というのはその人の器にあったものを、という考えがある。闇雲に高価なものを求めたがるのをやめたのは貴重な経験である。香道具にしても茶道具にしても書道具にしても、一番安価なものから始めるのが宜しいかと。貧乏神のご託宣を素直に聞いておくことにする。俺がいきなり端渓の硯なんか持っても莫迦高い伽羅なんか焚いてもそのありがたさが分かるとはとても思えないし、そんな輩が浪費してよいものではないことが分かるようになった。なるほどこれが分別というものか。