高橋尚子と増田明美の成長物語が脳内で不安定に膨張中。

そもそもおいらがマラソン中継を見るのは増田明美トークが聴きたいからに他ならない。まずあの声がたまらん。俺の幸福中枢を刺激するのだ。丁寧な日本語の名調子にはまったくやられる。マラソンはもちろん見たけど、夜のネチケイニュース、深夜のスポーツ番組なども出来る限りおっかけて、彼女の声を聴いてしまった。前に私は「性交でしか伸びないシナプス」の存在について書いたような記憶があるが、彼女たちは「走ることでしか伸びないシナプス」と意識の変容についてなにかしらの確信があるのだと思う。走るのは見るだけで充分、実践なんてまっぴらだとは思うが、彼女のトークからは「走ることってすばらしいんですよー」というのが伝わってくるのが好きだ。
増田明美高橋尚子と自分をどのように重ね合わせているのかは知らないが、高橋がオリンピックで金メダルを獲って以来、いくつかのシンクロニシティともいうべき邂逅を経て互いに成長してきたのだと思う。だから高橋尚子が走る姿、というよりそれに被って聞こえてくる増田明美の解説にそこはかとなく二人の成長物語が透けて見えて、ついつい聞き入ってしまうのだ。
スポーツに限らず、自分の何かと重ね合わせてイメージすることが、俺ら鑑賞者にとっては大事だったりする訳で、だからこそ他人のゲーム結果に一喜一憂するのだろう。