税制改革とかゆってもそれは自分の年収がいくらであるとか、扶養家族が何人いるかとか、個々の条件によって得する人と損する人が出てくるので、一概にはとても言えない。
公共事業でご飯食べてる人がそんなにいっぱいいるとも思えないんだけど、その余波で食べている人は案外多いのかもしれない。

中野区には38万人の人間が住んでいて美容院は約200軒あるそうだ。38万人のうち半数が女性として約20万人。一軒に5人の従業員がいるとして200人で1人の美容師を経済的に支えている。俺みたいに数年に一度自分で髪を切るような駄目女や子供、老人もそれなりにいるんだし、実際は100人くらいで支えて居るんだろう。そりゃあカラーリングやパーマネントで髪や地肌を沢山痛めて貰わないと美容院だって義髪業界だって整髪料業界だって成立しない罠。シャンプーだってトリートメントだっていっぱい売りたいから毎日洗わないと不潔ですって脅迫するし。困っちゃうなあ。
今回のアメリカの思惑だって別に難しい訳でも深遠な訳でもないからどうも興味が持てない。要は条件闘争なんでしょ?
条件闘争だったら自分がどういう立場にあるのかが明確でないとなにも思えない。人道的というのも妙に曖昧だし。そもそも人命がこんなに尊重される時代というのも地球開闢以来の出来事であり、空爆した敵国が医療品など支給するっていうのもおかしい。だったらやんなきゃいいのにねえ。でも、それで医療品業界が儲かったりするでしょ。それが最先端医療の研究開発費にもなる訳で。
去年アフガニスタンへ出かけていったジャーナリストの皆さんのギャラがテレビ1本(最低)10万円という話を読んだことがある。自分で音声や画像を取れればそれも請求出来るし。1日に何本ものプログラムに出演する訳だから5本出たとしても1日50万円、10日もいれば500万円か。そういう人の立場に立って考えれば2.3日で戦争が終わられても困るわよねえ。
他人の立場に立ってものを考える、というのはその概念が出来る以前は魔法使いのやることだったんですよ。
北朝鮮での拉致被害者の立場を訴える人の言葉が立っていれば、俺らは簡単に感情移入もするし、イラクで親兄弟を殺されたり、瀕死の重傷を負った人をテレビ画面で見れば、戦争の悲惨さについてもリアルに感じたような気分になることも出来るし。感情が過剰になっても困るのだ。
恋愛とかもそういう感じ。こんなに愛してるのにって泣かれても、俺が困るだけなので告白も相談もお断りしたいものである。はしゃいでついうっかり誰かに喋りたいことだったら聞くけど、親身になって相談すると俺にブルーが感染するから勘弁してくれ。

書いてるうちに飽きてきたので唐突に終わる。