昨日ベッドのお供(まあ、活字のことやね)が見あたらなかったので、論語の後半を読んでいたんだけど、あれれ、前半とまるっきりトーンが違うよ。民衆を教育して立派な軍人にするって。
朝鮮半島と日本は本当に儒教の国なんだなあと思う。君臣の関係を過剰にしたがる要素がてんこ盛りで、なんだかちょっとうざくなってきた。孔子トークも堅いし。前半のあのゆるさはどうなったんだ。てゆうか、論語の本質は後半部分にあるのだろうと。がっかりでもないけれど、これじゃ俺としても儒教批判に応えることは出来ないだろうなあ。
そもそも俺が儒教とか思いついて読み出したのは少子高齢化時代向きの道徳としていけるかも、と思ったから。年金も金利も子供からの仕送りもないまま老人が粗大ゴミ扱いされる未来なんか厭だと思ったからだ。
俺様に中年なんて時代が来るとは想像もしてなかったけど、そりゃあ当然のように中年になったということは、この変態豆腐頭でも、いずれ白秋(青春/朱夏/白秋の最後の季節)もくることはわかるのだ。今の親の世代(俺らの世代のこっちゃね)が自分の楽しみのことばかり考えていることにマジ危機感なのだ。
親を「ババア」呼ばわりしていた世代(俺はしてないって)が親になって「ババア」呼ばわりされる時代で、まったくもって自業自得なんだけど、俺らの世代から崩壊した何かについて漠然と大きく凹まざるを得ないのだ。
そういうことを儒教思想の崩壊と無理矢理括って現代社会の道徳の崩壊は日本の国体を支える儒教思想の崩壊によるものだと妄想したんだけどなんかうまくいかないみたい。まあ書取は面白いので続けますけど。